令和元年5月2日 湯谷温泉③ 覗き見可
※以下略
道の駅上平に行く途中、重要文化財岩瀬家住宅というのを発見。
温泉行く途中にあるので寄ってみた。
岩瀬家住宅が重要文化財の理由は上の写真を読んでね。
俺が、岩瀬家住宅に寄ったのは、昔ここら辺は火薬を作っていたというのをどこかのマンガで知ったから、この岩瀬家住宅でも作っていたと睨んだから。
参観料300円支払って、いざ中へ。
奥の囲炉裏には語り部とそれを聞いている観光客がいたけど、話の途中から参加してもわからないので、どこで火薬をつくっていたのだろうと見まわっていたところ、受付のおばあちゃんから「上あがってみたら」と言われたので階段を上る。
二階から語り部たちの様子を撮影。そしてさらに上へ。
3階から上で養蚕をしていたらしい。
床板が敷き詰められたところ以外に隙間があるが、そこから囲炉裏の煙や煤を通らせ、その煙で防虫したり、また煤で木材の防虫防腐をしていたとのこと。
藁シートの上を歩けば写真の奥まで行けるわけだけど、最初二の足を踏んだ。
藁シートの下は床板ではなく隙間だし、何より、この隙間を作っている木材(根太っていうのか?)はぱっと見そんな厚くなさそうなので踏み抜くのではという不安が無茶苦茶あった。
この根太の下には写真でいうと左右方向にしっかりとした梁があったので、その上を飛び乗るように向こうへと行きました。
4階も似たような部屋だった。
5階への階段はなかったので5階には行けず。
この家(いわゆる合掌造りはすべてそうなのかもしれないけど)の凄いところは釘を一切使わず縄を結びあげて作っているとのこと。
こんな風に。
どうやってこんな5階建ての合掌造りを維持できるぐらい固く縛り上げたんだ?
こっちは靴紐でさえすぐ解けて困っているのに。
養蚕しているところはわかったけど、肝心な火薬製造場所がわからない。
入り口のお姉さんに聞いたら、建物入ってすぐの↓やつを示して、火薬を作っていたとのこと。
入り口のお姉さんの話では、火薬ができるまで3段階あり、①火薬の元をつくる②その元を焼く③焼いたものに硫黄等を混ぜるとできるらしい。
ここでは②の段階を担当していたらしく、上の写真の器に元を入れて焼いていたらしい。
火薬について興味あるなら、その製造についての資料館が菅沼合掌造り集落内にあると言われたので、そこに行くことにした。
温泉までの道は遠くて険しい・・・